祈ることが美しいと思うようになった。
祈ることになんの意味があるのだろう?
しかし、私は祈られたい。
カラマーゾフの兄弟という小説のなかでアレクセイという青年は教会に住んでいる。
彼はとても心の美しい青年だ。
純粋な存在。
彼の家族は自分たちの代わりに教会で祈りを捧げるこの青年を殊の外愛している。
これを読んだ当時はあまりピンとこなかったのだが、誰かが自分たちのことを祈ってくれるというのは確かに救いだと思うようになった。
生きていることは大抵、日常生活の連続だ。
例え日曜日に教会にいこうが(ロシア正教は日曜日に礼拝をするのだろうか)、日々は生活に忙殺される。神への信仰だって格別厚いわけではない。
けれども、あそこに見える教会には、自分たち家族のことまで熱心に祈ってくれる存在がいるのだ。
純粋なものが、真剣に。
自分たちのことを祈ってくれている。
それは本当に心が慰められるだろうと、今の私は思うようになった。