化粧。
こんな、しちめんどくさいことがある意味ルールとなっているのがダルい。
なぜ訳もわからん液体やら粉やらクリームやら紅やらを顔に塗りつけなければいけないのか。
そんなにも私の素の顔というのは醜いのだろうか。
化粧を意味する言葉コスメはギリシャ語のコスメティックからきているが、これはカオスな状態から秩序(コスモス)をもたらすことが由来だ。
誰の顔がカオスだって?!
男性なら顔を洗ってヒゲをそれば済むのに、訳も分からん絵の具で顔にお絵かきしなきゃいけないんだ。
そもそも化粧してなにか良くなってるのか、不自然に唇が赤くなることに意味があるのか。
化粧してもブスはブスだ。
美人に化けることもできないなら、顔に絵の具を塗りたくることで余計に惨めになるのは私だけなのか。
まあ、好きではないから当然上手くもならないし、上手くないからやる気にもならないし、練習しても鏡にうつる自分の顔みて泣きたくなってくるので必要最小限しか、そういうことはやりたくない。
学生のころは別に勉強しにいくんだから化粧なんか必要ないだろと割り切ってほとんどすっぴんだったし、周りにも華美な化粧をする子は少なかったので化粧をしないことは当たり前の環境だった。
唯一、化粧をするのは舞台の本番だった。
舞台のうえではあれこれ墨やら紅やらで塗装しないと顔が映えないのだ。
アイラインや、つけまつげ、口紅、チーク。
なんならウィッグだって。
それはあくまで非日常だったし、
先輩にはいつもの普段とのギャップを笑われた。
だから、そういう出で立ちでいることは、ほんとうにごく稀で、なにもしないことが自然だと思っていた。
化粧をすると、周りの対応が変わる。
普段仲のいいひとたちからの扱いは変わらないが、他人の、そして特に男性からの扱いは変わるようだった。
私はその時、柄にもなく居酒屋でバイトしていて(要領がわるかった)自分に向いてないことに悩んでいた。
だが、まるで舞台の上にたつように化粧をした時だけ、男性客は優しかった。
就職してからは最低限の化粧をしようと頑張った。たまに朝起きられなくてノーメイクの日もあった。化粧をきちんとした日よりも、女性社員がみんな優しかった。きちんと化粧をするよりもウケがよかった。たまにきちんとメイクをすると今日はどうしたの??と揶揄われた。
付き合いのあったひとは私の化粧を好まなかった。ダサいといわれた。時間のむだだからスッピンでいいと。可愛いワンピースにスッピンは不釣り合いだった。
恋人には化粧についてなにも言われたことはないように思う。
仕事帰りに居酒屋にいったりしたが、私の顔はろくに化粧直しもせず、朝書いたアイライナーは消えかけていた気がする。
年を重ねた。
化粧をしないことが怖くなってきた。
なにも施さない顔が自然だったはずが、なんだかとても恥ずかしいことに気がついた。
化粧をしても恥ずかしい。
相変わらず顔に塗りたくると出来上がるのはピエロだ。
ピエロは笑われるものかもしれないけれど、その顔を見ていると悲しくなる。
それでも、顔になにも塗らないよりはましだ。
マスクをする、仮面をつける、
化粧は素顔を隠してくれる。
メイクのしたは素顔のわたしだけど
顔に塗りたくった絵の具の分だけ、
私は素顔を隠せるのだ。
自分を晒すことがどんどん怖くなる。
素顔を隠して作り上げる。
それがメイクだ。