ぼくの人生は大体マドレーヌとフィナンシェで彩られている。
すなわち、信仰と金だ。
マドレーヌはフランスの焼き菓子で丸くてひまわりのような形をしている。その名前はあのマグダラのマリアのフランス名から来ている。
マドレーヌ寺院がなんの教会かというと、当然罪を犯した女たちのための教会だろう。
マグダラのマリア自身が罪を犯した女として描かれ、改悛したストーリーが語られる。
娼婦の守護聖人でもある彼女は、ぼくの生まれた日の守護聖人でもある。
ぼくもなんども人生を転落するたびに、心を入れ替えようと決意するのは彼女のようになりたいからである。
苦痛に喘ぎながらも、更生し、信仰に生きる。共に苦しむ女たちを救う守護聖人となる。
ぼくはそんな愛の人生を生きたいと願うのだ。
そして、そんなぼくを苦しめるのがフィナンシェだ。
フィナンシェはファイナンシャルから来てる通り、金の延棒をかたどったお菓子だ。
バターたっぷりでアーモンドパウダーが効いていて、黄金色に輝くお菓子は、ぼくにとってはひまわりのようなマドレーヌよりも魅力的だ。
いつだって僕を堕落させるのは金への執着である。どんなことをしてでも、例え泥水をすすってでもそれを手に入れてやる。
金さえあれば、なんでもできるんだ。
これがぼくのもう一つの信念である。
そして、愛に生きるか金への欲望にいきるかがいつも僕に問いかけられ、それぞれへと傾いていく。
ぼくがいつか、死ぬ日がくれば。
みんなにはマドレーヌとフィナンシェの詰め合わせを返すように手配しようと思っている。
(結婚式の引き出物に加えるという案はそういえば浮かんだことがなかった)
それぞれ、好きな方を食べてくれ。